瓔珞迷<エイラク・ミイ>

瓔珞<エイラク>ファンの自己満足メモです。

『瓔珞』第4話・後宮の主として

要点・みどころ

1.傅恒と瓔珞の出会い 2.皇后の復活 3.後宮の人間関係

 

あらすじ

前半・・・富察傅恒は乾隆帝にある物を託され、姉の富察皇后の元へ向かっていた。その道中で偶然、瓔珞の侍衛をそしるような発言を耳にし注意するが、そつなく弁解する彼女にかえって関心を抱く。一方、皇后は3年前に亡くした我が子を忘れられず上の空だった。その不甲斐ない姿に傅恒はつい厳しく当たってしまい、皇后は心を閉ざしてしまう。そこで皇后と仲の良い純妃に協力を依頼し、乾隆帝から託された箱を開けるように促した。乾隆帝の想いを受け取った皇后は、後宮の主として復活することを誓う。

後半・・・皇后に勢いが戻り始めると、にわかに妃嬪たちの思惑も渦巻き出す。特に皇后が無気力だった間、のさばっていた高貴妃は危機感を強める。そんな折、仕事で儲秀宮を訪れていた玲瓏は、高貴妃の侍女・芝蘭に出会う。瓔珞のことが気に食わない玲瓏は、芝蘭に取り入って出し抜こうと考えていた。うまく彼女と話す機会を得ると、瓔珞が高貴妃の仕掛けた毒入りの枇杷膏の秘密を見抜いていることを伝え、陥れようとする。そしてその思惑通り、瓔珞は非道な高貴妃の元に連行されてしまう。


登場人物

魏瓔珞
 舒貴人の衣を届けに行く途中で錦繍が傅恒を誘惑しようとしたため、「密通が露見すれば、身分の高い彼は許されても女官は一巻の終わりだ」と忠告する(巻き添えを食いたくないと言っているが、彼女を想ってのことでは)。それでも錦繍は側女でも金持ちに嫁げれば満足だと言うため、(姉をたぶらかした慶錫を思い出して?)「恥知らずの畜生みたいな男どもと同じ考え方だ」となじった。それをたまたま傅恒に聞かれ「偏見ではないか」と詰問されたが、いつも通り達者な口でうまく弁明した。
 玲瓏の企みによって高貴妃に呼び出されると、話の通じない頭のおかしい人間を装い、おまけに食いしん坊なフリをして高貴妃が食べていた葛団子を欲しがって話を逸らした。

 

富察傅恒
 皇后を立ち直らせたい乾隆帝に頼まれ、出入りが厳しい後宮にも頻繁に通っていた。その日は乾隆帝から託された勅旨を姉の元へ届ける途中、瓔珞の言葉を聞いて注意するが、うまく弁解する彼女にかえって関心を持った。
 事は朝廷にも影響する問題だというのに、私的な悲しみに暮れるばかりの姉の姿につい激怒してしまう。彼女が大切にする長命鎖を投げ捨てた挙句、容赦なく責め立て、その結果、苦しい胸の内を明かされてやっと我に返った。しかし、両親も心配しているため、身内としてどうしても厳しく叱咤する必要があったのだと弁解する。
 結局、自分では皇后の苦しみを解くことができないと悟り、純妃に協力を依頼した。

 

富察皇后
 3年前に亡くした一人息子・永璉を忘れられず、表向きは平静を装っているが体調不良で寝込むことも多く、特に夜は呆然としているという。傅恒が乾隆帝の命令でやって来たことを悟ると、夫であり父親でもあるのに平然としている乾隆帝を恨んでいることを吐露する。
 純妃の計らいで自分の怠慢さに気が付くと、傅恒の言伝に従って勅旨が入った箱を開けた。他の妃の子どもではなく、乾隆帝は即位したその年に永璉を皇太子に指名していたことを知り、ようやく自分の過ちの大きさに気が付いた。
 後宮の主として妃嬪たちを統率するため、一同がそろった席で懐妊した愉貴人を厚遇し、亡くなった怡嬪も手厚く葬ることを決める。不服そうな高貴妃に対しても毅然とした態度を見せた。

 

爾晴
 勅旨を読む皇后の側に控え、自分を責める皇后に「皇后は悪くない」と手を握ってともに涙を流した。

 

純妃
 博識で細やかな気遣いもできる美しい妃だが、体が弱く、季節の変わり目にはよく寝込んでしまうらしい。その虚弱さを理由に夜伽を避けているが、皇后からの呼び出しにはすぐに駆けつけるため、嫻妃から「何を考えているかわからない」と評される。
 傅恒に頼まれて皇后に務めを思い出させるため、紅螺を使ってやんわりと怠慢であることを伝えた。

 

紅螺 Hong luo
 長春宮の女官。昨年25歳になり、年季明けで紫禁城から出て結婚するはずだったが、落ち込んでいる皇后に言い出すことができず、そのせいで許嫁から見捨てられそうになり泣いていた。純妃がそのエピソードを利用してくれたため、皇后に嫁入り道具を用意してもらえることになった。

 

嫻妃
 寛大で徳が高いことで名高い。ぶつかってきた女官を許した上、泣いていることに気が付くと声をかけ、その女官の母親が危篤だと知ると休暇がとれるよう取り図ろうとした。
 古参の妃のため後宮の人間関係に詳しいが、自分は決して寵愛を争わずどの派閥にも与しない。懐柔しようとしてくる高貴妃に茶会に誘われても出席せず、純妃から絵画鑑賞に誘われても裏があるなら行かないと断った。

 

納蘭
 怡嬪を自害ではなく病死と扱おうとした皇后が他の妃たちに同意を求めた際、率先して「皇后様が間違うはずがない」と発言してゴマをすった。

 

錦繍
 玉の輿を狙って傅恒を誘惑しようとして瓔珞に叱られる。それに対し、侍衛と密会騒ぎを起こしたばかりの瓔珞に言われたくない、と反論した。自分のために説教してくれた瓔珞が高貴妃に呼び出されたのを見て、心配するどころか「これから面白くなりそう」とほくそ笑んだ。

 

玲瓏
 吉祥とともに春装を届けるために儲秀宮を訪れていた。芝蘭に出くわすと、彼女の着こなしや刺繍を褒めて取り入ろうとした。瓔珞が枇杷膏の秘密を知っていることを伝えるため、芝蘭の香り袋を手直しすることを口実に機会を得る。思惑通りに瓔珞が連れていかれると、そしらぬ顔をしながらも笑みを浮かべた。

 

吉祥
 芝蘭と話し込む玲瓏に、「早く戻らないと張女官に怒られる」と言って止めようとした。高貴妃のもとへ連行される瓔珞の危険を察し、張女官になんとかするよう訴えた。

 

芝蘭
 玲瓏に褒められ気を良くし、彼女が香り袋を手直ししてくれるというので任せた。そのときに玲瓏から瓔珞の話を聞き、口封じのために高貴妃のもとへ連行した。

 

高貴妃
 父の高斌が先帝に気に入られた縁で側室に抜擢された。皇后によれば以前は礼儀正しかったが、段々と態度が大きくなったらしい。妃嬪の務めである皇后への挨拶の場でもふてぶてしい態度を見せ、なかなか皇后が姿を現さないと嘉嬪を連れて帰ろうとした。怡嬪を病死として扱おうとする皇后に反対するが、他の妃たちが皇后に味方したため立場が悪くなる。
 芝蘭が連れてきた瓔珞を尋問しようとしたが、瓔珞が頭のおかしいフリをしたため話にならず追及をあきらめる。食べていた葛団子を瓔珞が欲しがったので、普通ならば食べきれないような量を用意して演技かどうか試そうとした。


メモ

バトゥル
 満州語で「勇者」。清朝では満州族の武官に与える栄誉称号として使われたが、この称号を授かれる人はごくわずかだった。(ここでは勇者の意味で使われている?)

 

傅恒と瓔珞の初対面
 女官にキャーキャー言われても見向きもしなかった傅恒が、自分(を含めた男/侍衛)を侮辱するような発言をした瓔珞には振り返った。一種の「おもしれぇ女」認定? どうでもいいけど「那,我呢?」の言い方と顔好き。

 

ハサミとジョウロ
 ハサミは意外と歴史が長く紀元前には存在し、奈良時代には中国~朝鮮から伝来していたことから、あって不思議はない。ジョウロは17世紀には存在していたらしいが……?

 

長命鎖
 明~清で流行した、子どもの無病息災を祈る魔よけのお守り。銀製で錠前(锁=鍵)の形をしており、首からさげるのが一般的。

 

高家
 高貴妃の父親・高斌(コウヒン)が総督(地方長官)となって政治的に台頭し、このまま高貴妃をのさばらしては朝廷にも影響して乾隆帝の難儀となる。そのため皇后が後宮の主として力を取り戻し、高貴妃を抑えつけなければならなかった。

 

純妃の表情
 傅恒を追う目線……意味ありげ?

 

菊の花
 純妃は熱湯を注いで蒸気を目に当てると良いと言っていたが、漢方でも菊花は目の充血やかすみ目に効くとされている。他にも純妃は薬草の枕を作って皇后にプレゼントしたらしい。

 

牡丹皮
 牡丹の根を乾燥させたもの。漢方では血行を促進して月経痛や腰痛などに効くらしい。独特な芳香があって、純妃は入内前からの習慣としてこの粉末を中心に調合して香料を作り、洗濯するときに水に加えて衣に香りを移していたという。

 

「魚の楽しみは魚しか知らない」
 子非鱼安知鱼之乐。中国のことわざ?主観で他人の考えを推し量ることはできない、という意味らしい。
 荘子の『秋水』の中の『知魚楽』が由来。荘子が魚がゆうゆうと泳ぐ様を見て「あれが魚の楽しみだ」と言うと、一緒にいた恵子が「君は魚ではないのに、魚の楽しみがわかるのか」と聞く。それに対して荘子は「君は私ではないのに、私が魚の楽しみを知らないとわかるのか」と反論した、という故事。

 

太子密建
 乾隆帝の父・雍正帝が、かつて自分が即位する際に争いが起こったことから、新しく定めた後継者の指名方法。公式に皇太子を定めず、皇帝が後継者にしたい皇子の名前を書いた勅旨を乾清宮(雍正帝以前の歴代皇帝の寝殿)の扁額の裏に隠し、崩御する際にそれを衆人監視の下で公開して新しい皇帝を決めるという方法。
 この方法のおかげで派閥争いや相続争いも起こらず、皇子たちは競って後継者に選ばれるよう努力したため優れた皇帝が生まれた。乾隆帝はこの方法で選ばれた初めての皇帝。そして自身もそれに倣い、富察皇后の子・永璉を後継者(皇太子)にするという勅旨を扁額の裏に隠していた。それだけ期待していた。

 

永璉 Yonglian
 3年前に亡くなった第二皇子。史実では乾隆3年(1738年)10月に9歳で亡くなっている。すると作中は1741~2年? 乾隆帝の即位前(1729年)に誕生し、即位した年(1735年)に後継者として指名されていた。

 

子の刻
 23時~1時。清朝では西洋の時法が採用されており、1刻=15分。現代中国でも使う(3点3刻=3時45分)。ただ、おそらく日本語字幕での1刻は約30分。

 

王府
 皇族の屋敷。つまり即位前の乾隆帝のお屋敷。富察皇后、高貴妃、嫻妃、純妃、嘉嬪、愉貴人、哲妃(早世)、婉貴人の8人が輿入れして仕えていた。

 

自害と病死
 女官が自害した場合、大罪。家族も斬首なり流刑なり処罰される。瓔珞の姉は?
 皇后が怡嬪を手厚く葬るために病死と扱うことに決めた際、愉貴人泣いてる?

 

六宮
 妃たちの暮らす宮殿のこと。東西に6つずつある。つまり後宮のこと。
 ☆東六宮・・・景仁宮、承乾宮(嫻妃)、永和宮(愉貴人)、鍾粹宮(純妃)、景陽宮、延禧宮(『瓔珞』の原題は『延禧攻略』)
 ☆西六宮・・・永寿宮、啓祥宮、長春宮(富察皇后)、翊坤宮、儲秀宮(高貴妃)、咸福宮

 

満州族の刺繍法
 瓔珞が彩雲を刺繍する際に取り入れた。清では細い絹糸を用いる繊細な蘇州刺繍が隆盛を極め、皇室の刺繍はほとんど蘇州刺繍だったらしい。蘇州刺繍は繊細ゆえに平面的だが、満州族の刺繍法は立体的?らしい。

 

元宵団子
 元宵節(旧暦1月15日に正月の締めくくりとして行われるお祭り)に食べるお団子。もち米で作った団子をお湯に入れて食べる。
 高貴妃が食べていたのは……葛団子と訳されていたが、「藕粉丸子 Ou fen wan zi」はレンコンから抽出したでんぷんで作ったお団子。見た目は元宵団子に似ているが、天然の藕粉を使用していて、弾力があって爽やかな甘さが特徴。