瓔珞迷<エイラク・ミイ>

瓔珞<エイラク>ファンの自己満足メモです。

『瓔珞』第6話・消えた孔雀糸

要点・みどころ

1.姉の仇は富察傅恒? 2.孔雀糸紛失で絶体絶命のピンチ

 

あらすじ

前半・・・方女官から姉の遺品を取り返した瓔珞は、姉が張女官の一番弟子だったと知る。張女官に真実を話すよう迫ると、姉は男と密通したため後宮を追われたのだという。しかし、姉の遺体に扼殺された痕があるのを見ている瓔珞は、姉は無理やり犯され、口封じのために殺されたのだと考えた。犯人の手掛かりとなる玉佩に刻まれた満州語を張女官に翻訳してもらうと、それは皇后の弟・富察傅恒のものだと判明する。しかし一介の女官の身で彼に近づくのは容易ではなく、瓔珞はその方法を思案する。

後半・・・皇后の誕生日が近づき、お祝いの品として貴重な孔雀糸で刺繍した長衣を制作することになり、瓔珞がその刺繍を担当することに決まった。瓔珞は食事もとらず孔雀糸と長衣を見張ろうとしたが、心配した吉祥が代わりに見張ると言って聞かず、彼女に任せて席を外した。するとちょうどその時ボヤ騒ぎが起こり、思わず瓔珞も吉祥もその場に駆け付けてしまう。瓔珞が慌てて繍坊に戻ったが、そこにはあるはずの孔雀糸が見当たらず、代わりに無残に切り刻まれた長衣だけがあった。


登場人物

魏瓔珞
 姉が張女官の一番弟子だったことを知り、張女官に真実を話すよう迫る。事件の詳細を聞き出したが信じられず、罪を隠蔽しなくてはならないほど身分の高い男性に犯され、口封じに殺されたと考えた。そして遺品の中にあった玉佩の持ち主が傅恒だったことが判明すると、彼に疑惑の目を向ける。
 皇后に献上する長衣の刺繍を担当するという大役に、一度は役不足だと謙遜した。引き受けた後は不祥事が起こらないよう四六時中見張るつもりでいたが、ボヤ騒ぎが起きて、孔雀糸は盗まれ生地は引き裂かれてしまった。代わりの糸を探し、なんとか長衣を完成させたが……。

 

張女官
 一度は瓔寧を知らないと嘘をついたが、本当は優秀な瓔寧を一番弟子として可愛がっており、“阿満”という名の名付け親でもあった。彼女が密通を疑われたときは信じられなかったが、本人が「望んでやった」と話したことで失望していた。しかしすでに瓔珞の頑固な性格を知っているため、渋々ながら玉佩の満州語を翻訳した。
 瓔寧と瓔珞の関係が明らかになってさらに瓔珞を気に掛けるようになり、その才能を買って皇后への献上品の刺繍を任せる。

 

納蘭
 夜中に御花園で自作の歌を歌っていた。どうやら乾隆帝の気を引くためだったようだが、その策略は見抜かれおり、「そんなに歌が好きなら一晩中歌っていろ」と命じられて地団駄を踏んだ。
 皇后の誕生日には宝石で作られた盆栽を贈り、高貴妃に俗物扱いされた。

 

純妃
 侍医の診察の前夜、なぜか冷たい水で湯あみをして無理に体調を崩そうとした。体調不良を理由に夜伽も辞退していたが、予想外に乾隆帝の訪問を受ける。その際、机に灰で“和”の字を書いていたのを目撃され、「私の望みは皇后の健康と後宮の和という意味だ」と説明する。その際にわざと政治に干渉する話題を持ち出し、乾隆帝を不快にさせて追い出した。
 皇后のために希少な和田玉を誕生日祝いに贈った。

 

高貴妃
 皇后の誕生日に遅刻した挙句、皇后しか使うことが許されない純金で作った子宝観音像を贈って皇后を不機嫌にさせた。純妃に儲秀宮に置いておけば?と言われると、自分は皇后よりも年下でまだ子どもを授かる機会に恵まれているので不要だ、と嫌味を言った。

 

富察皇后
 乾隆帝が純妃のところから来たことを知り、純妃がなにか不躾なことを言ったのだろうが許すように、とかばった。また、儲秀宮の浪費を問題視し、自ら手本を示しながら倹約に努めるつもりだと乾隆帝に話す。明玉の「なんとか子どもを持たねば」という言葉に思うところがあったか、隣で眠る乾隆帝に甘えるが邪険にされてしまった。

 

乾隆帝
 納蘭の稚拙な策を見破り、純妃が自分を避けたがっていることも察していた。富察皇后の元に向かい、倹約について相談されるが皇后を信頼して一任する。そのまま夜をともにしたが、疲れのあまりか皇后の気も知らず寝入ってしまった。

 

玲瓏
 張女官が一同に「瓔珞よりも優れている自信がある者は?」と尋ねたとき、名乗り出ようとしたがあきらめてしまう。その後、張女官が瓔珞をひいきしている会話を盗み聞きし、嫉妬の念を強める。孔雀糸が盗まれ、他の女官たちが自分たちも処罰されるのではと騒ぐ中、ひとり複雑そうな顔をしていた。

 

吉祥
 食事をとろうとしない瓔珞を心配し、良かれと思って半ば強引に見張りを買って出る。しかしボヤ騒ぎを聞きつけ思わず現場にかけつけてしまい、孔雀糸が盗まれてしまう。罪の重さを自覚し、泣いて張女官や瓔珞に罰を望んだ。


メモ

御花園
 紫禁城内最大の花園。楼閣や築山などがあり、皇帝が妃たちと遊んだ。納蘭は乾隆帝が通りかかると知っていて?、自作の歌を歌って気を引こうとした。またかつて瓔寧が何者かに襲われたとき、ここの築山から汚れた肌着が見つかり、密通の証拠とされた。

 

瓔寧の死
 張女官によれば温厚で善良な刺繍女官だったが、あるとき一晩戻らなかったことを呉総管が追及したところ、男と密通したことを認めたらしい。本来ならば死罪だったが、皇太后が体調不良で不吉は避けたいということで、杖刑と紫禁城からの追放で済んだ。思いつめての自害だとみなが考えたが瓔珞だけは姉の無実を信じ、身分の高い男が犯した罪の隠ぺいのために殺されたと考えた。自害も大罪で家族にも処罰が及ぶが?これも皇太后への配慮でうやむやに?

 

玉佩
 帯からぶら下げる装飾品。瓔寧の遺品の中に紛れており、満州語で“富察一家”と刻まれていたため、傅恒の持ち物と分かった。

 

御前侍衛
 いわゆる近衛兵。康熙帝のときに設置され、待遇も良く位も非常に高かった。

 

江南
 長江より南の地域。蘇州など。納蘭の故郷で、風光明媚。柳の木が愛されているらしい。柳は湿潤な地を好み、しっかりした根を張るので治水のために水辺に植える→水の都・蘇州では確かに多いのかも? 北京にも結構植わっている。

 

敬事房
 妃が皇帝の子を身ごもった際の証拠になるよう、夜伽の日時などを記録管理する部署。皇帝の夕飯が済んだころに妃の名前が書かれた牌をお盆に乗せ持って行き、皇帝が牌を裏返すとその妃(燕喜堂に待機している?)の元に夜伽の通知をする。選ばれた妃は衣服を脱がされ、布団にくるまれて皇帝のベッドに運ばれた。

 

純妃の湯あみ
 この時点ではなんのためかわからないけれど、のちに何の、誰のためかとわかると切ないような痛々しいようなシーン……。

 

欧陽修
 北宋時代の政治家、歴史家、詩人。唐宋八大詩家のひとり。欧陽修が見出した曾鞏(ソウキョウ)の『虞美人草』は有名だが……作中の乾隆帝曰く、欧陽修の詩で慎ましい虞美人は灰を使って自分の思いを訴えたらしい。

 

虞美人
 『四面楚歌』で有名な、項羽の愛人。詩など多くの作品の題材とされている悲劇の女性。

 

鄂爾泰(オルタイ)Eertai
 雍正帝乾隆帝の父)の腹心で、雍正帝が臨終時に張廷玉とともに大臣になった名臣。高貴妃の父・高斌の後ろ盾?政治的に近しいようだ。

 

康熙帝
 乾隆帝の祖父で、自ら倹約に努めて無駄な出費を抑え、何度も減税をおこなった。絨毯を40年使いまわしたのもあり得る話? 雍正帝も倹約家だったが、乾隆帝はどちらかと言えば派手好みだった。

 

富察皇后の節約
 史実でも名門貴族の出身ながら倹約に努めており、宝石ではなく造花で身を飾り、衣の装飾には鹿の尻尾の毛を使っていた【!】。乾隆帝にも鹿の毛で装飾した火縄銃を入れる袋を贈り、乾隆帝も気に入って愛用した。容姿も美しく、嫉妬もせず、まさに「理想の皇后」であり、皇后のおかげで傅恒はじめ富察一族は重用された。

 

富察皇后の誕生日
 3月28日(旧暦では2月22日)。張女官によれば、皇后と貴妃へのプレゼント?の刺繍は新人女官が担うのが慣例らしく、不出来でも罰はない。

 

鳳凰と牡丹
 鳳凰は中国で慶事があるときに現れるとされる、縁起の良い想像上の生き物。鶏と孔雀を合わせたような見た目。牡丹は百花の王として、幸福や富貴の象徴として縁起が良い。

 

孔雀糸
 孔雀の羽毛に金と銀の糸を一緒に撚った糸。実際に、孔雀の羽毛を使用した清朝の龍袍(皇帝と皇后だけが着ることができる服)が遺っている。古代から中国では孔雀の美しい羽根を身に着ける権力者が多かった。

 

織造局(しょくぞうきょく)
 明~清朝に、宮廷で使う絹織物を製造するために設置された。北京の他に絹織物が盛んだった蘇州・江寧(南京)・杭州に置かれた。

 

陛下の長衣?
 長衣と訳されているが龍袍Longpaoと言っている? 龍袍は、皇帝の象徴である龍の刺繍が施された黄色(皇帝の色)の礼服。

 

朝服
 公務の際に着用する服。制服のようなもの。龍袍(長衣)>朝服>常服?

 

平金縫い
 伝統的な蘇州刺繍の技法。おそらく金の絹糸を使った平縫い? 平たく整っている。

 

鎖縫い
 チェーンステッチ? 読んで字のごとく、鎖状に見える刺繍?

 

火鉢
 皇后の誕生日が3月28日なら、まだ肌寒い?

 

如意
 僧が読経などのときに手に持つ道具。本来は孫の手(痒いところに手が届く)で、転じて思い通りになるという意味を持つようになった。嫻妃が皇后の長寿を願って贈った。

 

暖玉・和田玉
 ホータン玉。ヒスイの一種で、新疆ウイグル自治区の和田Hetian地区のものが有名。とても希少だが、中国の国石にも指定されている。純白のものが最高級で、上質な玉はしっとりと肌に吸い付くような触り心地で、寒い時には触れるとあたたかく感じるのだそう。乾隆帝は格別にこの玉を愛し、自ら加工場を指揮したという話も。

 

造辮処(造弁処)
 宮中で使う日用品から芸術品、工芸品を製造した工房。繍坊もこのひとつ。

 

紫檀(したん)
 古くから工芸品の材料に使われてきた木。重く硬いため加工は簡単ではないが、きめ細やかで美しく虫などにも強い。かすかにバラの香りがするため、ローズウッドとも。

 

宝座
 仏像を安置する台座。

 

金玉作
 造辮処のひとつ。金メッキ加工や玉を彫刻して器や硯などをつくる工房。

 

御窑廠
 景徳鎮にあった磁器をつくる窯(工房)。

 

玻璃廠
 ガラス工芸品をつくる工房。

 

琺瑯(ほうろう)
 =七宝焼き。元代(1300年前後)に盛んに作られていたが、清代に広州から西洋の琺瑯が入ってくると、乾隆帝のときには中国様式と西洋様式が混ざった琺瑯の器が作られた。