瓔珞迷<エイラク・ミイ>

瓔珞<エイラク>ファンの自己満足メモです。

『瓔珞』第十話・必死の金策

要点・みどころ

1.どこかコミカルな瓔珞の復讐劇 2.袁春望、初登場

 

あらすじ

前半・・・瓔珞は確たる証拠もないのに傅恒を仇と決めつけ、その命を持って償わせると息巻いていた。張女官にたしなめられ過激な行動は慎むことにしたが、せめて重傷を負わせようと策を弄する。その思惑はなかなか成功しなかったが、かえって傅恒との距離は近づきつつあった。その一方である日、乾隆帝に霊柏を叩いていた女官だと気づかれてしまう。乾隆帝は瓔珞を危険視し、皇后から引き離そうとした。しかし皇后は愉貴人を命がけで救った瓔珞を信用し、引き続き自分の下に置きたいと乾隆帝を説得する。

後半・・・嫻妃は獄中で病を患った弟の治療費を工面するため、俸禄の前借りを内務府に申請するも却下されてしまう。そこで仕方なく太監に賄賂を渡し、大切な嫁入り道具を密かに城外で売ってきてもらうことにした。しかし、その現場を高貴妃に見つかってしまい、派閥に入るよう脅迫される。嫻妃は跪いて見逃して欲しいと請うも、派閥争いに加わることは拒否した。高貴妃は頑固な嫻妃の目の前で、腹いせとばかりに嫁入り道具を破壊する。嫻妃はただただ、涙するばかりだった。


登場人物

魏瓔珞
 冷静で聡明なはずだが、姉のこととなると理性を失ってしまう。確たる証拠もなく推測で傅恒を仇と決めつけ、その命をもって償わせようとしている。張女官にたしなめられ、もう少し様子を見ることにしたが、どうしても恨みの気持ちが暴走してしまう様子。わざと熱湯を漏れやすくした手作りの湯たんぽを贈ったり、井戸に落とそうと背後から忍び寄るが、いずれも失敗に終わる。その度に傅恒と身体的に密着して彼を意識させるが、瓔珞の頭の中にはあくまでも姉のことしかない。
 聡明で慈悲深い皇后の話を聞き、主として心を寄せ始めている。被支配身分の生まれのためか、殉死させられた者たち目線で順治帝を批評していたところ、運悪く乾隆帝に聞かれてしまった。尋問されてなんとか筋の通った弁明をしたものの、今度はその声で霊柏を叩いていた女官であると気づかれてしまう。さすがの瓔珞も言い訳ができなかったが、皇后がうまく助け舟を出してくれたため難を逃れた。

 

張女官
 傅恒こそ姉の仇だと言って聞かない瓔珞に折れ、もしそうだとして傅恒をどうするつもりかと聞く。命を狙っていることを知ると、「大切に育ててくれた阿満のためにも、慎重になりなさい」と言い聞かせて思いとどまらせた。

 

富察皇后
 教養があり、慈悲深く、皇后として果たすべき義務をわきまえている。
 身寄りのない子供への寄付が足りていないため後宮の財産整理をしているが、反感を買って寄付金を着服していると流言を流されている。瓔珞になぜ真実を明かさないのかと問われると、「善を見せては真の善ではない」という朱子家訓のひとつを引用して、教養の高さを見せた。
 瓔珞が恐れ多いと言って口をつぐんだ意見も、興味深そうに耳を傾ける。それを偶然、乾隆帝に聞かれて怒りを買ってしまい、自分にも責任があると謝罪した。乾隆帝から瓔珞は危険だと警告されても、ゆかりもない愉貴人を命がけで守った彼女を信用し、これからも長春宮に仕えさせることにした。

 

明玉
 皇后から愉貴人のお見舞いを命じられ、今度は素直に自分で向かったようだ。愉貴人が別人のように痩せてしまったことと、乾隆帝の訪問がないことを報告した。それをまるで自分事のように悲しむ皇后を理解できていなかった。
 相変わらず瓔珞のことを目の敵にしており、皇后と談笑するのを見て、たまらず「お調子者」と悪口をつぶやいた。さらに乾隆帝に危険視される瓔珞を、このまま長春宮に置いておけば面倒なことになると皇后に訴えた。

 

富察傅恒
 瓔珞から手作りの湯たんぽを贈られ、最初はその正体が豚の膀胱と聞いて気味悪がったが、押しに負けて受け取った。なんだかんだ気に入ったようだが、海蘭察と取り合いになった際に熱湯が漏れ、負傷するよう故意に狙われたのではと疑う。問い詰めようと呼び出し、今度は背後から井戸に突き落されそうになるが、瓔珞がしつこく体をまさぐって怪我がないか確かめようとするので、つい「信用するからやめろ」と言ってうやむやにしてしまった。
 意図せず何度も瓔珞と密着して意識してしまっているところ(宮中にいるおしとやかなご令嬢や他の女官と違って、瓔珞はグイグイくるから?)、追い打ちをかけるように海蘭察にかわかわれ、彼女に対する感情が揺れ動いている。

 

海蘭察
 堅物の傅恒とも冗談を言い合う、良き親友。傅恒が持っていた湯たんぽを調子に乗って取り合った際に、熱湯が漏れて大火傷を負ってしまう。それでも手の込んだ湯たんぽを褒めて、作り主はきっと傅恒のことが好きだろうとからかった。

 

乾隆帝
 皇后によると、好き嫌いがはっきりしていて、偏見に対して厳格な性格。
 多忙のために愉貴人のお見舞いにも行っていない。皇后に急ぎの用があったのか、取り次ぎも待たず長春宮に入ったところ、瓔珞が順治帝の批評をしているのを耳にして処罰しようとした。皇后のとりなしを受けても気持ちはおさまらず、アラを探そうと瓔珞に続きを話すよう求めたが、結局うまく言い繕われてしまう。しかしその声を聞いて、かつて自分を騙した女官であると気づき、かばおうとする皇后に警告して引き離そうとした。結局、皇后に免じて見逃すことにしたが、腹いせに李玉のお尻を蹴って憂さ晴らしした。

 

嫻妃
 赤痢にかかった獄中の弟に医者を遣わすため、母親から銀子を送るように言われる。すでに必要最低限以外は実家に仕送りをしているため手元に余裕がなく、俸禄の前借りをしようとしたが、蔵の在庫確認中であるのを理由に断られてしまう。そこで太監に賄賂を渡し、内々に私物を城外で売ってきてもらうことにした。
 皇帝からの下賜品を売っては罪になってしまうため、嫁入り道具として持ち込んだお気に入りの装飾品を選び、夜に珍児とともに太監との待ち合わせ場所に赴いた。しかし、密かにその情報を得ていた高貴妃に現場を押さえられ、見逃してもらいたくば自分の派閥に入るようにと取引を持ち掛けられる。自分をかばって罪をかぶろうとする珍児のために跪きはしたが、高貴妃の手下になることは断り、嫁入り道具は罰として破壊されてしまった。

 

珍児
 自分たちが頼んでも蔵を開けてもらえなかったのに、高貴妃の愛犬のためには開かれたのを見て憤った。嫻妃が私物を売ろうとしているところを高貴妃に見つかり、主を守るため自分が袁春望と共謀して盗んだものを売ろうとしたのだと主張した。しかし許されず、罰と称して破壊される嫁入り道具を懸命に守ろうとした。

 

袁春望 Yuan Chunwang
 師匠の太監頭・趙慶に付き添って、嫻妃の金策に係わった。しかし高貴妃に見つかると師匠から罪を被せられた挙句、珍児にも共謀相手だと証言され捕らわれてしまった。

 

高貴妃
 芝蘭から嫻妃がお金に困っていることを聞いて監視し、太監とやりとりしている現場を通りかかったように見せかけて糾弾した。弱みに付け込んで嫻妃を自分の手下にするつもりだったが断られ、腹いせに嫻妃のお気に入りの嫁入り道具をけなした挙句、破壊した。

 

芝蘭
 高貴妃の愛犬・雪球の上着をつくるため、毛皮をもらいに蔵へ行ったところ嫻妃とすれ違う。高貴妃の父親が内務府大臣に就任しているため我が物顔で物色し、そのついでに嫻妃がなぜ来ていたのかを探った。

 

嘉嬪
 2歳になる我が子・永珹に言葉を教えるが、なかなか上手く言えないので苛立っていた。愉貴人が聡明な子を産んだ場合、健康だけが取り柄の我が子では太刀打ちができないとして、愉貴人とそのお腹の子の命を狙っている。愉貴人が皇后と遊園に出かけると聞き、雪球を使ってなにかを企んでいる様子。

 

阿双
 嘉嬪の侍女。嘉嬪が自分の子と第二皇子と比べてヤキモキしているのを、「第二皇子は英才ゆえに天に嫉妬されて夭逝した」と話して落ち着かせた。


メモ

姉の死

 瓔珞の推理は・・・
 1.律儀な姉が落とし物の玉佩を持ったままだったのは、なにか意味がある=傅恒との間になにかあったのではないか。

 2.温和ながら意志の強い姉が、相手の名前を伏せたまま泣き寝入りした=家族に累が及ぶのを恐れたのでは。犯人はそれほど影響力のある人物だった。

 3.宮中にいる男性は(主に)侍衛と皇帝だけ=皇帝に見初められたなら喜ばしいことで、隠す必要がない。

☆つまり、皇后の弟で名門・富察家の御曹司、未来の乾隆帝の腹心たる御前侍衛の傅恒が姉を手籠めにし、その醜聞を隠すために殺したのでは?=傅恒コロス!!!!

 

祟文門
 北京を囲う城壁(現在はない)の、南東にあった門。門そのものというより付近の地名? “税課”という税を徴収する機関が置かれていたため、納税のために多くの人が往来し、門から延びる街道沿いも賑わうようになった(翻訳不安)。毎月、市が開かれていたらしいので、皇后もそこで不用品を売って寄付金を工面しようとしたのでは。

 

善堂
 明の時代に誕生した慈善活動をおこなう団体。清の時代には全国に普及し、20世紀にはタイやシンガポールにも広まった。災害救助や貧困者への炊き出し、診療所や学校の運営などを行って困窮者を救済した。
 清も国として国庫から資金を寄付しているらしいが、干ばつや洪水など度重なる災害のために足りなくなり、皇后は蔵の在庫や後宮の調度品を売却して工面しようとしている。

 

“善を見せては、真の善にあらず”

 朱子学創始者朱熹が記した『朱子家訓』の中の一節。善欲人见,并非真善。皇后の教養の高さがうかがえる。

 

順治帝

 順治帝は清の第三代皇帝で、廟号(死後の名)は世祖。乾隆帝の曽祖父にあたる。わずか6歳で即位し、清国の土台を固めてその後の最盛期を導いた名君とされる。しかし、寵愛していた側室の董鄂妃(ドンゴ妃)が病で亡くなると、後を追うかのように天然痘に罹って24歳の若さで亡くなった。あまりの急逝に、「董鄂妃を弔うために出家しているだけなのでは(本当は生きているのでは)」という噂が流れた。
 皇后と明玉は順治帝とドンゴ妃の関係を純愛として語ったが、瓔珞はドンゴ妃の死後、順治帝が気落ちして政治を放棄したり、仕えていた人間を殉死させたりしたことを引き合いに、皇帝は無情な方が下々の人間にとっては良いのだと批評した。それを乾隆帝に聞かれたが、順治帝自身ものちに行き過ぎた寵愛だったと述べていたり、康熙帝が殉葬を禁止したことを引用していただけで、非難したのではないと説明した。

 

卯の刻

 朝の5時から7時。乾隆帝は毎日、夜明け前のこの時間から起きて政務をしているらしい。こう多忙で、妃嬪に寂しい思いをさせる無情な皇帝こそ実は名君なのだと、瓔珞は乾隆帝をよいしょして難を逃れようとした。

 

慎刑司
 内務所の管轄で、太監を処罰する機関。

 

赤痢

 赤痢菌が付着したものを飲食するなどして発症する感染症。高熱、激しい下痢や血便の症状が出る。日本では夏に流行するので夏の季語らしい。

 

俸禄

 給与。嫻妃は銀子300両。1両=37.301g約3万円?。半年前に申請すれば前借りができるらしいが、嫻妃が頼みに行ったときは、大臣の高斌が在庫確認のために蔵の中身を動かすのを禁止していたためできなかった。

 

手炉
 手を温めるための小さな火鉢。取っ手がついていて持ち運びができる。後宮で一般的な暖房器具だった。皇后の誕生日が3月末だとすると、4月なのにまだ寒いみたい。

 

湯たんぽ

 7世紀には中国にあった。“たんぽ”は中国語の汤婆(Tangpo:婆とは奥さんの意味で、奥さんの代わりに抱いて暖をとるから)から。昔は陶器で作られていた。豚の膀胱は瓔珞のオリジナル?

 

劉管事

 内務府の蔵の管理を担当している太監。高貴妃の父親が上司のため、芝蘭に対しても媚びへつらった。

 

乾清宮

 康熙帝以前の歴代皇帝の寝殿。趙慶がここの太監頭ということは、袁春望もここの所属だった? なぜここの太監なら外へ出られる?

 

神武門

 妃嬪たちが暮らす内庭(後宮)から城外に通じる唯一の門。