瓔珞迷<エイラク・ミイ>

瓔珞<エイラク>ファンの自己満足メモです。

『瓔珞』第十二話・復讐の果実

要点・見どころ

1.臆病な愉貴人の復讐 2.乾隆帝と瓔珞

 

あらすじ

前半・・・瓔珞がライチの木のもとに戻ると、何者かによって熱湯がかけられ落果していた。この過失をごまかすため、瓔珞はまず引きこもっている愉貴人を説得し、茶会に出席させる。それからライチの鉢植えを運び入れたが、木を覆った布の中に高貴妃の愛犬・雪球を忍ばせていた。覆いの中から飛び出した雪球に愉貴人は怯えて逃げ惑い、茶会は大混乱。乾隆帝は激怒し、飼い主である高貴妃と嘉嬪に厳罰を下した。こうして愉貴人の復讐は成功し、さらに瓔珞は果実を守れなかった過失をごまかした。

後半・・・騒動のあと乾隆帝はふと我に返り、瓔珞に騙されたことに気が付く。しかし、既に片がついた事件を蒸し返せば体面が悪い。冷徹な乾隆帝が瓔珞を許すと知った李玉たちは、陛下が彼女を見初めたのではと怪しむ。一方、騒動の原因になった雪球は殺処分されることになり、瓔珞がその役目を自ら引き受けた。それを知った傅恒は、彼女の本性を見極めようと考える。やがて彼女は殺処分した証拠として、毛皮を持ってきた。しかし、雪球の毛色は真っ白だったはずが、毛皮には小さな黒い斑がありーーー?


登場人物

魏瓔珞
 8歳のときに犬に噛まれたが、翌日には棍棒を持ってその犬を追いかけまわした。そのときの話を愉貴人に聞かせ、高貴妃たちと戦うように説得する。そして茶会で愉貴人に復讐のお膳立てをしながら、それを利用して自分がライチの木を守り切れなかった罪をごまかした。
 乾隆帝が引用した論語の一節を瞬時に理解したことで、皇后から感心される。しかし、それはたまたま隣家の学生が暗唱していたのを覚えていただけで、本当は貧しかったために学問を修められなかったと皇后に打ち明ける。そこで皇后から直々に、教養や礼儀を教えてもらえることになり喜んだ。
 たらいまわしにされていた雪球の殺処分を「憂さ晴らしのため」海蘭察から譲ってもらい、証拠に毛皮を用意したが、どうも雪球の毛皮ではなさそうだ。

 

富察皇后
 重度の冷え性で、侍医の治療も純妃の気遣いもあまり効き目がない。心配した乾隆帝から、近々、都にやってくる江南の名医・葉天士に診てもらうよう勧められた。
 純妃から嫻妃が銀子に困っていることを聞き、負担にならないよう、思いのこもった誕生祝の品を贈ってくれた恩賞として銀子を与えて助けた。
 茶会では貴重なライチの実を自ら摘むのを楽しみにしていたが、雪球が飛び出してきたことで高貴妃が故意に茶会を台無しにしたと思い込む。嘉嬪が許しを乞ってすがりついてくると、自分ではなく愉貴人に謝るように促した。のちに瓔珞からことの顛末を聞くと、瓔珞の教養の足りなさを惜しみ、翌日から礼儀や教養を教えることに決めた。

 

愉貴人
 嘉嬪や高貴妃に会うのを恐れ、茶会に出席せずに宮殿に閉じこもっていた。瓔珞に戦うよう言われても、自分には武器がないと涙した。しかし彼女から「弱さもお腹の子も、立派な武器だ」と説得され、ようやく茶会に出席する。
 瓔珞が忍び込ませた雪球が茶会に乱入すると、必死に逃げ回った。高貴妃から過去にも狙われていたことを乾隆帝に暴露し、お腹の子に障ると訴えて正当な裁きを求めた。結果、嘉嬪と高貴妃は厳罰に処されることとなり、報復することができた。

 

嘉嬪
 偽物の真珠粉の件を瓔珞に見破られているのではと疑い、愉貴人の診察記録を盗み見て芳草が嘘を報告していることを確かめた。瓔珞を排除するためにライチの木を傷つけ処刑されるよう仕組み、ついでに皇后の面目も潰そうとした。
 茶会では高貴妃の代わりに雪球を抱いていたが、途中で逃げ出してしまい、太監に捕まえるように命じた。しかし、太監よりも先に瓔珞がその雪球を捕まえて利用し、茶会は滅茶苦茶になって高貴妃が責められてしまう。そこで高貴妃を守るため、雪球の監視役を担っていたのは自分だと主張した。皇后や愉貴人に謝罪して許してもらおうとしたものの、結局、高貴妃とともに罰を受けることになり、乾隆帝から三か月の禁足と嬪から貴人への降格処分を言い渡された。

 

高貴妃
 嘉嬪が勧めるがままに愉貴人を堕胎させようとしていたが、その計画のほとんどを任せていた。嘉嬪が瓔珞に妨害されていると疑うと、「勘ぐりすぎでは」とあしらった。
 愉貴人の叫びを聞いた乾隆帝から、雪球を使って愉貴人とお腹の子を害そうと狙った上、皇后に嫉妬して茶会を台無しにしたのではと問われたが、すべて誤解だと弁明した。しかし、故意であったかは別にしても雪球を野放しにしたことに変わりはなく、減俸1年の罰を言い渡された。

 

純妃
 嫻妃が施しを拒否するため、皇后の慈悲深さと聡明さを見込んで直接相談し、嫻妃が受け取らざるを得ないよう仕組んだ。茶会では積極的に皇后の味方をし、御花園での出来事を明かしたり、高貴妃が皇后に嫉妬していると発言した。

 

嫻妃
 皇后の誕生祝に玉如意を贈っていたが、実はその柄に般若心経を彫刻して手を痛めていた。それに感動した皇后から恩賞を授かることになり、一度は断ったが、乾隆帝の御前でもあるため受け取らざるを得なくなった。その恩賞が銀子であるとわかると、純妃の差し金だと気づく。
 茶会で愉貴人がパニック状態になると、率先して気遣い、落ち着かせようとした。

 

舒貴人・慶常在
 慶常在が高貴妃たちに下された厳罰に疑問を持つと、舒貴人は「報いを受けるときがきたのだ」と鼻で笑った。

 

珍珠
 ライチの木を管理していた部屋の鍵が壊され、木に熱湯がかけられているのを発見し、ショックのあまり泣きじゃくっていた。隠ぺい工作のために瓔珞に従い、雪球を探す太監に嘘の方向を教えてかく乱した。また、落果した中から食べられそうな実を選りすぐり、新鮮さをごまかすために調理したものを運んだが、高貴妃たちに新鮮なものをはやく食べたいと急かされてしまう。瓔珞が間に合わないのではと不安になり、跪いて事情を明かそうとしたところ、瓔珞が到着したため安堵した。

 

乾隆帝
 茶会に出席した際、触れた皇后の手が冷たいことに驚き、心労のせいではと心配して葉天士を紹介した。愉貴人が到着した時、彼女の体調を気遣ったが、あくまで「皇后に心配をかけないように」とのことだった。
 愛する皇后のために用意したライチの木を傷つけられ、愉貴人までも被害に遭っていることを知り(我が子を心配してか、皇后の心労に繋がると思ったからか)、激怒して高貴妃を詰問した。高貴妃が犬のせいにすると論語の一節を引用し、その責任は飼い主にあるのだと説いた。
 事が収まり、読書している最中でふと、ライチの木がたかが犬1匹が暴れただけでは済まない状態になっていたことを思い出し、瓔珞に騙されたと気が付く。詰問のために李玉に連れてこいと命令するも、今更蒸し返しては体面も悪く、瓔珞は皇后を守ろうとしたのだと思い返して見逃すことにした。

 

李玉
 冷徹な乾隆帝が瓔珞を許すと言い、腑に落ちず弟子の徳承に相談する。彼が「器量よしな彼女を見初めたのでは?」と言うと、断固として認めようとしなかった。
 高貴妃から恨まれるのを恐れ、雪球の殺処分を海蘭察に押し付けた。

 

海蘭察
 李玉から雪球の殺処分を押し付けられたものの、瓔珞が代わりにしてくれると言うので喜んで任せた。しかし、女の子に果たしてできるのかと心配していた。

 

傅恒
 海蘭察が瓔珞に雪球の殺処分を任せたのを見て、思わず非難した。海蘭察が心配すると、「彼女を見くびるな」と鋭い目で瓔珞の後姿を見やった。瓔珞が持ってきた毛皮を確かめ、そこにあるはずのない黒い斑模様があるのを発見する。

 


メモ

葉天士
 難病も治してしまう、江南の名医らしい。ちょうど乾隆帝が傅恒からその噂を聞いて都に呼び寄せたところだったので、冷え性を患う皇后にも診察を受けるよう勧めた。
 史実では、名は桂、字が天士。代々医者の家系に生まれ、邪気(暑さ寒さ、湿気や乾燥など)によって引き起こされる、“温病”という病気の理論を確立した名医として名を残している。

 

般若心経
 大乗仏教の真髄を300文字程度に凝縮したお経。大乗仏教衆生救済(生きるものすべてを救うこと)を目的にしているので、このお経も誰かを救うため、安らぎを与えるため、教え導くためなどの意味を持つ。

 

白雪紅梅
 料理の名前? 白雪はライチ、枸杞の実が紅梅? 枸杞の実は杏仁豆腐によく乗ってる赤いやつ。

 

陰陽思想
 森羅万象を陰か陽に分類して考える中国の思想。光と闇のように、相反しつつもどちらか一方がなくてはもう一方も存在しえず、ふたつがバランスよくあることを良しとする。ライチは陽らしい。

 

論語
 孔子とその弟子たちの問答が記された書物。中国では古来必読の書のひとつとされていた。乾隆帝が引用したのは、魯の国の重臣だった季氏が国内にある属領を討伐しようとした際、孔子は「虎や猛牛が檻から逃げ出し、箱の中の宝石を壊したら誰の責任か?(管理している者の責任だろう)」と言って反対したという一節。瓔珞はこれを瞬時に理解し、まずはライチの管理者だった自分が進んで謝罪し、次に雪球の飼い主である高貴妃にも責があるのではと場の流れを導いた。
 瓔珞は貧しかったために学べなかったが、隣家の学生が暗唱していたものを記憶していた。他に「学びて時に之を習う(学んだことを復習して身に着けるのは、喜ばしいことである)」、「三人行えば必ず我が師あり(三人で行動すれば、そこには必ず師がいるものだ)」を覚えていた。

 

索倫(ソロン)
 勇猛果敢な民族として知られたエベンキ族の別称(旧称)。海蘭察はこのソロン族出身なので、索倫侍衛と呼ばれるのでは。

 

海蘭察のウインク
 痙攣かな?

 

犬肉
 犬食文化は中国の一部、朝鮮半島、東南アジアなどで見られるが、中国では新石器時代のころから犬を食用としていた。しかし、北方の遊牧民や狩猟民族は犬食を忌む場合も多く、女真族も狩猟や遊牧を行っていたため、清でも禁止したのでは。