瓔珞迷<エイラク・ミイ>

瓔珞<エイラク>ファンの自己満足メモです。

『瓔珞』第十六話・堕ちた妃

要点・見どころ

1.嫻妃の闇落ち 2.皇后の秘密

 

あらすじ

前半・・・純妃に企みを暴かれ、幽閉された金答応の元に嫻妃が訪れる。父親を密告したのは高貴妃かと追及すると、金答応は認め、嫻妃を「純妃の助けがなくば何もできない無能」と罵った。すると嫻妃は純妃が現れたのは偶然ではなかったと明かし、金答応を殺害する。善良を貫いてきた嫻妃はとうとう闇に堕ち、自分を虐げてきた者たちへの復讐を決心したのだ。一方、そんな皇子をめぐる事件をきっかけに、爾晴は皇后に子どもがいないことに焦りを感じる。しかし、皇后には人に明かせない事情があった。

後半・・・ある日を境に、皇后は純妃と密室で長時間過ごすようになった。それを知った高貴妃は皇后を失脚させるため、ふたりがただならぬ関係だという流言を後宮に広める。そして乾隆帝に女性同士の恋愛を描いた歌劇を見せ、皇后たちの関係を怪しませた。瓔珞も皇后の秘密は知らなかったが、怒った乾隆帝長春宮にやってくることを知ると、わざと騒ぎを起こして時間稼ぎをし、皇后を守った。皇后は自分を信頼してくれた瓔珞に感銘を受け、とある病を患っていることを明かす。

 

登場人物

魏瓔珞
 怡親王を陥れた罰として、皇后から“寛容”という字を100回書くように命じられたが、自分には非がないと反抗するため、忍耐の“忍”の字を書いて皇后を怒らせた。
 皇后が純妃と密室に引きこもっていることに対し、詳しい事情はわからずとも隠したいという気持ちを汲み、乾隆帝が突然やってくるとわざと騒ぎをおこし、皇后たちに注意を促した。これを機に皇后から一層の信頼を得たが、乾隆帝からは取り入ろうとしていると誤解されてしまう。

 

金答応 Jin Daying
 嘉貴人から降格し、北三所に幽閉された。嫻妃からこれまでの悪事を責められると、後ろ盾のない自分が息子を守るために仕方なく、高貴妃の犬として尽くしていただけだと語る。そして嫻妃を無能と罵るが、彼女の手によって絞殺されてしまう。

 

嫻妃
 これまで後宮の派閥争いを避け、他人を陥れるような行いもせず善良を貫いてきたが、家族を失ってとうとう自分を虐げてきた者たちへの復讐を決意した。
 まず金答応が息子を取り戻そうとした策略に対し、純妃をあらかじめ呼び寄せて、これまでの“徳の高い自分”を保ったまま(「私の責任だ」「天が知ってさえいえれば良いの」等の発言)、失脚させた。そして幽閉された金答応を密かに訪ね、父親を密告したのは高貴妃なのかと追及する。金答応がそれを認めると憤り、彼女を絞殺、自害したように偽装した。
 その夜悪夢を見るも、第四皇子の泣き声が聞こえると裸足で駆けつけた。もはや引き返せまいと、第四皇子を(成り上がるための道具として?)我が子として育てることを誓う。

 

富察皇后
 爾晴から子どもを急かされると機嫌を悪くした。実は第二皇子を産んでから寒気に侵され、夜は体中の痛みで眠れないほどの病を患っており、子どもを授かりづらい状態だった。それを密かに治療するため、信頼する純妃に頼んで鍼灸を施してもらっていた。
 乾隆帝の突然の来訪を知ると、乾隆帝の誕生日祝いのために純妃と山水画を練習していたとごまかした。無事にごまかすことができると、自分を信頼してくれた瓔珞に感動し秘密を明かした。事情を知らない乾隆帝が瓔珞を誤解していることを知ると、笑いをこらえながらそれを解こうとした。

 

純妃
 皇后から相談され、密かに鍼灸治療を施した。乾隆帝がやってきたのを知ると、山水画の練習をしていたとごまかすため、皇后の衣の裾を墨で汚した。皇后を守ろうとした瓔珞に感心し、皇后とともに秘密を明かした。

 

爾晴
 皇后のためを想って子どもを急かすも、なかなか聞いてもらえずため息をつく。しかし、皇后から病を明かされるとその秘密を守ろうとし、夜中に皇后の肌着を洗濯するなど誠意を尽くした。

 

明玉
 純妃と密室にこもる皇后の様子を盗み聞きしようとして、爾晴に叱られた。

 

珍珠
 皇后と純妃の噂を耳にし、ふたりの様子をこっそり眺めていて瓔珞に叱られた。

 

高貴妃
 元侍女で、嘉嬪よりも位が低かった。父親が出世したことにより側室となり、後宮で成り上がった。
 芝蘭から皇后と純妃の様子を聞き、ふたりがただならぬ関係であると流言を広めるように命令する。そして乾隆帝が探し求めていた書が手に入ったという口実で呼び出し、近くの舞台の歌声をわざと聞かせた。

 

乾隆帝
 探していた『快雪時晴帖』を、高貴妃が手に入れたというので彼女のもとを訪れる。しかし高貴妃の罠で歌劇を見て、噂されている皇后と純妃の関係を怪しみ、真相を暴こうと長春宮に向かう。瓔珞がぶつかってきたのは故意だと見抜き、皇后の元へ急ぐが、自分の誕生日祝いに山水画の練習をしていたというのを信用し安堵した。では瓔珞はなぜ故意にぶつかってきたかを考え、皇帝である自分に気があるふりをして成り上がろうとしているのだと解釈し、皇后に誤解だと言われても聞く耳持たなかった。


メモ

側福晋
 親王や郡王の側室。

 

鑲黄旗
 八旗制度の、皇帝が直轄する「上三旗」のひとつ。

 

快雪時晴帖(かいせつじせいじょう)
 東晋時代の政治家で、書家としても“書聖”と評される王羲之(おうぎし)の書。史実の乾隆帝はこの書を愛し、雪が降ると必ず鑑賞したという。あまりに愛しすぎて自ら「神」と書き加えている(くっそかわいい……)。現在は台北故宮博物館に所蔵されている。

 

中秋帖
 東晋時代の書家・王献之の書。乾隆帝が愛蔵し、現在は北京の故宮博物館に所蔵されている。

 

伯遠帖
 こちらも東晋の書家・王珣の書で、乾隆帝が愛した。乾隆帝は上記のふたつと合わせた三つの書を手に入れると喜び、「三希(三つの希なる宝という意味)」と称し、自らの書斎も「三希堂」と名付けた。

 

李魚
 明末期~清初期の劇作家・小説家。性愛文学を得意にし、『怜香伴』のような同性愛を主題にした作品も複数残している。李玉は三流と評しているが、「汚らわしい」と酷評する人もいた一方で多くの人々から愛され、日本の井原西鶴にも影響を与えた。

 

京劇
 乾隆帝が観た歌劇は京劇かと思ったが、京劇は乾隆帝80歳の祝賀の時に上演された劇が起源になるらしいので、まだ作中では少なくとも“京劇”ではない。前身の徽劇? 中国演劇の歴史は古く、300を超える地方伝統演劇が存在する。

 

万寿節
 皇帝の誕生日を祝う祭り。乾隆帝の誕生日は9月25日(旧暦8月13日)。

 

山水画
 その名の通り、山や河川を題材にした絵画。実際の風景を絵にするというよりも、中国古来の自由気ままな隠遁生活に対する憧れから、“理想郷”として想像の風景を描いたものが多い。

 

鍼灸
 中国では紀元前の春秋戦国時代には治療法として存在した。