『瓔珞』第二十二話・証拠の帯
要点・見どころ
1.皇后という責務の重さ 2.富察姉弟が仇?
あらすじ
前半・・・瓔珞の機転で高貴妃と舒貴人の罠を切り抜けたが、皇后はなぜか不機嫌だった。その理由がわからず瓔珞たちは困り果てていたが、皇后は自分の軽率な行動を悔やんでいたのだった。一方、瓔珞の逆襲に遭った高貴妃は皇太后の怒りを買い、愛する舞台やお気に入りの衣装を処分されてしまう。舒貴人は責任を感じ、汚名返上のため、高貴妃にいっそ瓔珞を味方に引き入れようと提案する。そして瓔珞の弱みを握るため、舒貴人は卑怯にも張女官を脅し情報を仕入れた。
後半・・・高貴妃たちは夜中に瓔珞を呼び出し、姉を辱めたのは傅恒であり、それを隠ぺいするために皇后が姉を殺害したのだと告げる。瓔珞はもちろん信じなかったが、高貴妃たちは証拠として現場に落ちていた傅恒の帯を突きつける。動揺した瓔珞に舒貴人は毒を手渡し、姉の敵討ちのために皇后を殺害するよう唆した。あくる日、長春宮にやってきた傅恒と皇后に、瓔珞が自らお茶を用意した。異変を感じた純妃がそのお茶を投げ捨てたが、果たして本当に毒入りだったのだろうかーーー。
登場人物
魏瓔珞
高貴妃と舒貴人の罠をすぐさま見抜き、転落死した女官の顔を赤く染めて、高貴妃がよく芝居で扮している楊貴妃を真似していたように偽装した。それで皇后を守れたはずが叱られてしまい、自分がなにか過ちを犯したのかと省みる。しかしわからず、『聊斎志異』を真似て皇后を笑わせて心をほどき、理由を尋ねた。己を責めて悔やむ皇后を励まそうとしたが、最終的にその責任感の強さに感じ入るしかなかった。
高貴妃から呼び出され、言われた通り単身儲秀宮に乗り込む。姉が襲われているのを目撃したという太監の話を聞かされ、富察姉弟こそ探している仇であると告げられるも、日中に偶然会った張女官の様子がおかしかったことを理由に、作り話だと判断した。しかし傅恒の帯を証拠に突きつけられ、皇后を毒殺するよう唆される。
長春宮に傅恒がやってくると自らお茶を用意したが、果たして本当に毒を盛ったのだろうか。
明玉・爾晴
皇后が不機嫌になってしまった理由がわからず、困り果てる。瓔珞が皇后の心を解こうとおどける様子を陰で見守り、それが成功すると瓔珞とともに皇后の話を神妙な面持ちで聞いた。
富察皇后
瓔珞のおかげで体面を潰さずに済んだが、不機嫌になって食事も摂ろうとしなかった。それは瓔珞たちに怒っていたのではなく、自分が品位に欠ける行動をとってしまったせいで、無関係な女官の命が奪われてしまったことを悔やんでいたのだった。瓔珞の励ましの言葉に感謝するも、皇后として改めて身を正さなくてはと語った。
その夜、掟のために夫の手に触れることさえ許されなかった若き頃を思い出し、涙した。
劉女官
皇太后の命令で、儲秀宮の舞台を破壊する指揮を執り、高貴妃のお気に入りの衣装や台本までも燃やして処分した。
高貴妃
下賤な芝居に興じて風紀を乱した罰として、舞台を破壊されてしまう。自分で刺繍した思い入れのある舞台衣装までも処分されそうになり、「もう二度と歌舞に興じないから、その衣装だけは手元に残させてくれ」と訴えたが、聞き入れてもらえず燃やされて大きなショックを受けた。
舒貴人が謝罪に来ても会おうとしなかったが、彼女が一晩跪くと姿を現した。瓔珞を味方にしようという提案を聞き、汚名返上の機会を与える。呼び出した瓔珞に富察姉弟こそ仇だと話し、皇后を亡き者にするよう命令した。
舒貴人
一晩中跪いて誠意を見せ、汚名返上のため高貴妃に瓔珞を味方に引き入れる策を提案する。張女官を脅して瓔珞の情報を仕入れ、目撃者や証拠の帯を用意して瓔珞を動揺させる。そして毒を手渡し、敵討ちを果たすよう唆した。
以前、乾隆帝の好きなお茶だと言って碧螺春を皇太后に差し入れていたが、瓔珞によれば乾隆帝は好みを悟られないようにしてはいるが、おそらく龍井茶が好きだという。見事に乾隆帝に騙されていたようだ。
張女官
とても真面目で、普段は朝早くから仕事を始め、たとえ病気でも繍坊の様子を見に来るという。
高貴妃のもとに拉致され、瓔珞と近しいだろうと問われたが、警戒して「長春宮に引き抜かれてからは疎遠だ」と嘘をついた。しかし、唯一の親族である亡き兄の子どもを人質にとられていることがわかり、仕方なく瓔珞が姉の敵討ちのために女官になったことを明かした。
その後、偶然にも繍坊で瓔珞に出くわすと、しどろもどろになりながら用心するように伝えた。
小章子
御花園の掃除を担当する太監。宴が開かれた日、同僚たちがサボっている中ひとりで御花園にいたところ、阿満が襲われている現場を目撃したという。助けることもできず、しばらくしてから現場に戻って傅恒の帯を拾ったらしい。
純妃
長春宮を訪れるも、傅恒が来ていることを知るとそのまま帰ろうとした。しかし、高貴妃しか使用しない香りが瓔珞から香ることに気が付き、瓔珞の部屋を密かに調べた。毒が入っていた空袋を見つけて瓔珞が裏切ったと断定し、傅恒が飲もうとしたお茶を投げ捨てた。
傅恒
母親から預かった平安符を皇后に届けるため、長春宮を訪問する。しかし皇后の口ぶりからすると、最近は特別な用事もなく訪れることもあるようだ。
明玉や爾晴には目もくれず、瓔珞の元へまっしぐらに向かう。彼女が毒を盛ったと純妃が主張すると、本人の口から直接聞くまでは信じないと瓔珞を問いただした。
メモ
奬果(しょうか)
トマトやブドウなど、水分の多い果肉の果実の総称。ホオズキ?
ホウセンカ
東南アジアが原産の植物。夏に花を咲かせ、赤い花は古くから女性が爪を染めるときに使用する。
楊貴妃の化粧
京劇での楊貴妃の化粧は、白い肌に目元を赤く染めて血色の良い美人を表現する。そのため瓔珞は、ホウセンカなどを使って死んだ女官の顔を染めた。
聊斎志異(りょうさいしい)
清の時代の短編小説集。当時、民間で語り継がれていた仙人や妖怪による怪異的な小話を集めて、蒲松齢(ほ・しょうれい)が小説化したもの。約500話ほど収録されている。
『嫦娥』
聊斎志異に収録された話のひとつ。とある男が嫦娥と顛当というふたりの女を好きになってしまうが、実は嫦娥は月の仙女、顛当は妖狐だった……というお話。
まず、男は紆余曲折を経て嫦娥を娶って楽しく暮らしていたが、あるとき男が「君の美しさは天下無双だが、伝説上の楊貴妃や趙飛燕はこの目で見ていないから残念だ」と言うと、嫦娥は不思議なことに体型まで変えて、楊貴妃や趙飛燕に扮して舞を踊って男を喜ばした。
→これが瓔珞が画策した、「皇后に洛神の衣装を着せて乾隆帝を魅惑する」策の元ネタ。
次に、男と睦んでいたため嫦娥を怒らせてしまった顛当が、その怒りを鎮めるために嫦娥を観音菩薩に見立てて拝んでおどけたところ、嫦娥は思わず笑って許してしまった。
→瓔珞はこれを真似て、不機嫌な皇后の心を解こうとした。
さらにその後、嫦娥と顛当が仲良くなったことで屋敷の奴婢たちも気が緩んでしまう。そしてあるとき、奴婢たちが『貴妃酔酒』を真似して遊んでいたところ、ひとりが階段から転落死してしまう(のちに生き返る)。嫦娥はこれを自分が風紀を乱したせいだと悔やみ、奴婢たちを罰して顛当にも厳しく当たるようになった。
→舒貴人が仕組んだ罠は、これを真似た? そして皇后が悔やんだ理由もまったく同じ。
黄旗・包衣
紫禁城で宮仕えする包衣は上三旗(鑲黄旗・正黄旗・正白旗)だから、鑲黄旗か正黄旗を黄旗という? 瓔珞のモデルになった孝儀純皇后は、正黄旗出身なので正黄旗?
永定門
かつて北京を囲っていた城壁の南にあった門。正門にあたり、一度は取り壊されたが2004年に再建されたので観光することができる。
卯の刻
午前6時の前後1時間(5時~7時ごろ)。中国は現代でも朝が早い。
子の刻
午前0時の前後1時間(23時~1時ごろ)。
プーアル茶(普洱茶)
雲南省が原産のお茶。明代に雲南地方が領地となったことで有名になり、清朝では進貢品に指定されて宮廷でも愛された。ミネラル濃度が高く、飲み続けると血液循環やお通じの改善に効果がみられるらしい。さらに茶葉を熟成した“熟茶”には、脂肪分解作用もみられるとか。
金瓜貢茶
普洱茶の茶葉を蒸して、カボチャのような形に圧し固めたもの。熟成させると色が金色(黄色)になり、朝廷への貢物として献上されたので、この名前で呼ばれた。新陳代謝を助け、血圧を下げる効能があるとされる。
鉄観音
烏龍茶の一種。福建省の安渓のものが有名。香りが甘く、ランやキンモクセイなどに例えられる。名前の由来に、乾隆帝の時代に茶農家が夢の中で、観音岩という場所に木が生えているのをみて、実際に向かうと本当に木が生えていたので持ち帰って栽培したから、という説がある(この説をとると、作中で“鉄観音”というのは少し違和感)。
紅茶
完全発酵させた茶葉で淹れたお茶。中国ではお茶には何も入れない飲み方が好まれ、紅茶にも砂糖やミルクなどは入れないのが一般的。
茉莉花茶
ジャスミン茶。緑茶などに茉莉花の香りを移したフレーバーティー。
恩施玉露
湖北省恩施が原産の緑茶。中国の緑茶は釜炒りするのが一般的だが、恩施玉露は日本の緑茶のように蒸して茶葉をつくる。現代ではとても希少なお茶。
護国寺
北京八大寺院のひとつ。
広化寺
中国各地に同じ名前の寺院があるが、おそらく北京の寺院では。
平安符
お守り。心身の平安を願って贈るものだが、現代では恋人や友達に愛や祝福の想いを伝えるために贈るらしい。
丸薬
練り香? 香料を蜜などと一緒に練り合わせて丸薬状にしたもの。普通は香炉に入れて熱を加えて香らせるタイプのお香なのだが、高貴妃は服用しているらしい。
鴆毒(ちんどく)
鴆という猛毒を持つ鳥の羽から採れるとされる毒。鴆は龍や鳳凰などと同じ空想上の生き物とされていたが、近年になってニューギニアで毒をもつ鳥が発見され、古代中国にも存在した可能性もあるという。甘く美味な毒で、秦の呂不韋はこの羽を浸した酒をあおって自殺したとも。ただ、おそらくここでは単なる猛毒という意味で使われている?