瓔珞迷<エイラク・ミイ>

瓔珞<エイラク>ファンの自己満足メモです。

『瓔珞』第33話・皇帝の苦悩

要点・見どころ

1.乾隆帝と瓔珞の関係の変化 2.嫻妃昇格


あらすじ

前半・・・瓔珞は自分に良くしてくれる袁春望に感謝し、義兄弟の契りを結ぶことにした。そんな矢先、皇后の病状が悪化しているという噂を耳にする。不安になり夜中に長春宮に忍び込んだが、そこには傅恒が待ち構えていた。実は彼は密かに明玉と協力し、瓔珞が皇后を見舞えるよう計っていたのだった。その頃、高貴妃の葬儀の準備に奔走していた嫻妃が、火傷の影響でついに倒れてしまう。体調不良を押して務めを果たそうとする姿に乾隆帝は心動かされ、彼女を貴妃に昇格させることを決めた。

後半・・・ある日、瓔珞が皇后を見舞っていると突然、乾隆帝もやってくる。とっさに隠れた瓔珞に気づかず、乾隆帝は高貴妃を失った動揺を、いまだ意識の戻らぬ皇后に語った。そして後日、再び瓔珞は乾隆帝と鉢合わせてしまう。しかし乾隆帝は怒ることはなく、億万の民を守らなくてはならない焦りや、周囲の無能さへの苛立ちなどを打ち明けた。瓔珞は、「ひとつひとつ解決していけば良い」と助言しつつ、きっと皇后はその苦悩をも受け止めてくれるはずだと励ますのだった。


登場人物

魏瓔珞
 自分に尽くしてくれる袁春望を「兄さん」と呼び、義妹になると告げた。
 同じ辛者庫の女官が、皇后にもお迎えがもうすぐ来そうだと噂しているのを聞くと憤った。しかし間違えのない情報だと知ると、いてもたってもいられず夜中に長春宮に忍び込んだ。そこで傅恒が待ち伏せているとすぐに、皇后が危篤だというのは嘘だと彼の企みを見抜いた。意地を張ってそのまま帰ろうとしたが、結局やはり皇后を心配し、その後も明玉の協力が得られる日に見舞うようになった。後日、乾隆帝が突然やってくるととっさに隠れたが物音を立ててしまう。乾隆帝が帰ったものと思い込んで「いけ好かない男」と呼んでしまい、委縮したが皇后の手が動いたと嘘を吐いて逃げ出した。
 その後も懲りることなく皇后を見舞っていたが、再び乾隆帝と鉢合わせてしまう。とっさに謝罪したが、乾隆帝から「女は視野が狭い」という旨の話を聞かされると、女性を鳥に例え、男たちが籠の中に押し込めたことを忘れるなと忠告した。我に返った乾隆帝が去ろうとすると、皇后から教わった乾隆帝の詩を暗唱して引き留め、富察皇后なら“皇帝の苦悩”さえも受け止めてくれるはずだし、政策はちゃんと民たちに届いていると励ました。ただ、うっかり乾隆帝の詩を「優れてはいない」「教わりたくなかった」と言ってしまい、オチをつけた。

 

袁春望
 瓔珞に兄さんと呼ばれると大喜びで、きちんとした義兄弟の契りの儀式をすると騒ぎ、さらにどさくさに紛れて「いずれ結婚する」と言った。

 

傅恒(春和)
 明玉を呼び出し、瓔珞が皇后を見舞えるよう協力を依頼した。作戦通り彼女が長春宮にやってくると企みを明かし、皇后は主なのだから堂々と見舞えと言い聞かせた。また、帰ろうとする彼女を呼び止め、かつて言った「婚姻はあきらめない。いつまでも待つ」という言葉を忘れるなと釘を刺した。
 皇后の見舞いの帰り道、すれ違った純妃から、瓔珞に入れ込んでいることを非難されると、越権行為だと聞く耳持たず立ち去った。

 

明玉
 傅恒に未練は残しておらず、彼が瓔珞のために協力してくれと言うと快く了解した。さらに瓔珞が皇后のため、高貴妃に復讐したのではと推察し、彼女のことを改めて見直した。しかし乾隆帝が突然やってくると引き留めることもできず、命令に従って隠れた瓔珞に出てくるように呼びかけた。

 

爾晴
 傅恒と話していた明玉になんの話だったか尋ねたが、秘密だといって教えてもらえなかった。

 

嫻妃(嫻貴妃)
 皇后が病床に臥せっているという特異な状況下で、突然亡くなった高貴妃の葬儀を執り行うという煩雑な状況を解決するため奔走していたが、乾隆帝の前で倒れてしまう。火傷が酷くただれていることを“ささいな病”として、せめて高貴妃の葬儀だけは仕切らせてくれと乾隆帝に頼み込んだ。その働きが認められ、貴妃に昇格することとなった。
 珍児が持ってきた高価な塗り薬をためらうことなく捨て、傷跡をわざと残して乾隆帝に助けた恩を忘れさせないように企んでいる。

 

珍児
 体調不良を隠そうとする嫻妃の代わりに、乾隆帝に咳の症状があることや、火傷がただれてしまっていることを明かした。

 

太后
 かつて敵対していた高貴妃の葬儀のため尽くす嫻妃を評価し、乾隆帝にもっと寵愛するように勧めた。

 

乾隆帝
 多忙のため嫻妃に高貴妃の葬儀の段取りを任せきりだったが、彼女が倒れたので慌てて侍医に診察させた。体調不良を隠そうとする嫻妃の代わりに、珍児に症状のすべてを明かさせ、火傷がただれてしまっていることを知った。それでも高貴妃の葬儀を執り行おうとする彼女に感銘を受け、皇太后の勧めもあって貴妃に昇格させることに決めた。
 高貴妃の死の衝撃を誰かに話したいと考え、昏睡している皇后のもとを訪れた。かつて淡い恋心を抱いていた乳母の娘を父に殺され、皇帝たるもの恋愛感情を持ってはならないという強い警告を受けた過去があり、高貴妃にも愛情を与えられなかったのだと語った。そこに不自然な物音が聞こえたため、帰った風に見せかけて隠れていた瓔珞をおびき出した。彼女を脅したが、皇后の手が動いたという嘘を信じて取り乱してしまい、その隙に逃げられてしまった。
 高斌が娘たちの訃報を受け帰京しようとしていることを知ると、高恒を叱責した。そして、多くの民が水害で苦しんでいる最中、治水を投げ出そうとした高斌の官職をはく奪した。自分が懸命に民を守ろうとしているにも関わらず、臣下や妃嬪たちは私欲にまみれていることを悩み、ふと長春宮に向かった。まるで瓔珞がいることを知っているかのように明玉に所在を尋ね、彼女にその愚痴ともとれる苦悩を打ち明けた。「ひとつひとつ解決していけば、己と天に顔向けできる」という励ましに心を動かされ、年貢の免除を決意した。

 

純妃
 傅恒に対し、女官に恋をして乾隆帝が命じた縁談を断ったという悪い噂が流れているため、注意するように告げた。しかし彼が真実だと認め、忠告を受け入れずに立ち去ると激しく動揺し、皇后から譲り受けた彼ゆかりの絵画を破り捨てようとした。さらに涙を流しながら傅恒の字を書き、玉壺に咎められた。「彼は何も覚えていない」と言い、彼のために都中の令嬢を探して最高の女性を娶れるように皇后に推挙していたのに、無駄だったと嘆いた。玉壺になぜそこまでするのか尋ねられるも答えず、親友の皇后のために愁いを絶たなければと何かを決意したようだ。

 

玉壺 Yu hu
 なぜ純妃が傅恒の私事に介入しようとするのか理解できない様子で、不安そうな表情を浮かべた。


メモ

義兄弟の契り
 主に漢民族の民間で行われていた、血縁関係のない人物と親密になるために交わした契りのこと。有名なところで言うと、三国志演義劉備関羽張飛の“桃園の誓い”など。中国語では义结金兰という言い方もある。金蘭譜を交換し、香を焚いて天に誓ったり、血酒(盃に互いの血を垂らした酒)を同時に飲むなどする。

 

庚帖 geng tie
 古代中国で、婚姻の際に夫婦が交換した書き付け。名前や生年月日、本籍などが書かれていた。

 

金蘭帖(金蘭譜)
 義兄弟になったときに交換した書類。“金蘭”は「金を断つほど硬く、蘭のように美しい(深い友情)」という意味。

 

亥の刻
 午後10時の前後2時間。

 

敦粛皇貴妃
 雍正帝の側室だった年貴妃(皇貴妃)。病弱だったが3人の子を産み、いずれも早世してしまったが、三人目の子どもだった福恵は特に雍正帝からも愛された。自身も寵愛されていたが、病のために亡くなった。しかし、兄の年羹堯が失脚したのとほぼ同時期だったため、なんらかの策略に巻き込まれたのではという説もある。雍正帝は彼女の葬儀を丁寧に執り行ったため、以降の皇貴妃の葬儀のお手本と定められた。

 

年羹堯
 年貴妃の兄。武功をたてて雍正帝から寵愛されていたが、突然、職権を乱用したとか私益のために結託したなどの罪に問われて失脚。官職をはく奪された挙句、雍正帝から死を賜った。

 

「花開き折るに~」
 唐の時代の杜秋娘という人が作った『金縷衣』の一節。花开堪折直须折,莫待无花空折枝。「花が咲いて枝を折っても大丈夫そうなら、すぐに手折ってしまうべきである。花が散ってから枝を折っても虚しい」。杜秋娘は芸妓だったが、誰かがつくった詩で歌うだけでは不満だったので、自作のこの詩を披露したところ、李錡という男に見初められて妾となった。李錡が謀反を起こして失敗した後は、皇帝から寵愛された。

 

琥珀
 天然樹脂の化石。主に宝飾品に用いられるが、中国では漢方薬としても使用されていた。

 

朱砂(しゅしゃ)
 辰砂(しんしゃ)のこと。硫化水銀からなる鉱物。不透明な赤褐色で、別名・賢者の石とも呼ばれる。毒性があるが、漢方では主に精神症状の改善のために用いられる。皮膚の細菌の抑制効果もあるため傷口の化膿にも用いる?

 

白獺
 カワウソ。骨髄は貴重な薬だった。

 

字(あざな)
 本名以外の呼び名。古代中国では他人の名を気安く呼ぶことは失礼だったため、男子は20歳、女子は15歳になると字がつけられた。ただ普通は役職などで呼ぶ(富察侍衛など)ことが優先されるため、字で呼ぶのは親密な間柄の場合に限られる。

 

同知
 官職のひとつ。“府”という行政地区の長官である知府を補佐する役目だった。海防は地名らしいので、外河もおそらく地名??? 史実では、陳克済(字幕では済が浚になってた)と王德宣が損失を出した(着服した?)ことが明らかになると、高斌は彼らをかばったために罷免させられ、罪を償うため治水工事に従事させられた。

 

高麗鶯
 中国や朝鮮半島などに生息する鳥。鳴き声が美しい。

 

乾隆帝の詩
 乾隆帝は詩をつくることが好きで、生涯につくった詩は4万首以上にもなる。ただ、とにかく多く速くつくることを目的にしていたため、あまり内容や詩の技術面は優れてはいなかったとされる。作中で瓔珞が引用した詩、特定できませんでした・・・。

 

四書五経
 儒教における重要な書物と経典。

 

開墾
 山野を切り開いて耕すこと。史実の乾隆帝は農業を重視し、開墾を奨励して農地を拡大させた。

 

捐納(えんのう)
 古代中国で人々に金銭などを納めさせる代わりに、官位や爵位を与えた制度のこと。政府にとっては重要な収入源だったが、官僚の堕落の原因にもなった。

 

呉中
 江蘇省蘇州市の古称。

 

乾隆通宝
 乾隆元年に鋳造された貨幣。

 

知音(ちいん)
 互いの心をよく知った友。親友。

 

総理事務王大臣
 =軍機大臣?

 

丙寅の年
 西暦を60で割って6があまる年。1746年が乾隆11年。次の丙寅は1806年。